移民、技能実習生の受入拡大に反対という意見に対しての反論 [技能実習生の法改正]
こんな記事を見つけました。
移民(技能実習生)の受入は反対。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5385.html?sp
以下抜粋。
移民の受け入れについては、絶対に駄目だ。
移民の元となる外国人労働者の受け入れにも反対だ。
低コストの外国人労働者を受け入れる企業は目先の利益を増やすことができるだろうが、その分の長期的コストをかぶるのは国民全体だ。
結局、国家全体では大きな損失となる。
実際に、ヨーロッパ諸国において、外国人労働者の受け入れは大失敗に終わっている。
▼トルコから大量の労働者を受け入れ、取り返しのつかないドイツの大失敗例▼
例えば、1960年代の高度成長期のドイツでは、トルコから大量の労働者を受け入れた。
ドイツでは、トルコ人労働者の受け入れによって犯罪が増加したが、それでも高度成長期に企業の利益を確保するためには仕方ないこととされていた。
ところが、ドイツで高度成長が終わり、企業がトルコ人など外国人労働者たちの雇用調整を迫られた時、その雇用調整は思いどおりにできなくなっていた。
なぜならば、ドイツ国内におけるトルコ人など外国人労働者たちには既に二世が誕生していたのだ。
こうなると、既に、「外国人労働者」ではなく、「移民」だ。
ドイツのトルコ人労働者(移民)たちの二世は、ドイツで生まれ育ち、ドイツ語しか話せない。
だから、ドイツが、トルコ人労働者とその家族をトルコに帰国させようとしても、なかなか帰国させることができなくなっていた。
そこでドイツは、トルコ人労働者(移民)たちに、トルコで家を建てるための資金を与え、子供たちにはトルコ語の教育をした。
トルコ人労働者に対して、トルコに家を建てる資金を与えたり、二世にトルコ語教育をしたりした資金は、莫大となり、約3兆円を費やすこととなった。
しかし、これで、ようやく「トルコ人労働者とその家族」=「トルコ人移民たち」の帰国事業が出来たかというと、そうではなかった。
トルコに家を建てる資金を貰ったトルコ人労働者(移民)たちは、帰国する途中の国境手前で、列車から飛び降り、ドイツから出国しなかったのだ!
そのため、結果的にドイツにおける移民の数は、その後もどんどん増加してしまった。
このように、一度外国人労働者を大量に受け入れてしまったら、やがて、外国人労働者たちは「移民」と化し、取り返しがつかないことになる。
日本で外国人労働者を受け入れても、ドイツなどと同じ事態に陥ってしまうことは、火をみるより明らかだ。
外国人労働者のメリットは、短期的に雇った企業のみに現れる。
ところが、そのデメリットは、長期間にわたって(永久に)全国民にはねかえってくる。
たとえば、小学校の教育一つとっても、外国人の生徒がいれば、コストは10倍以上かかる。
外国人労働者本人も失業を頻繁に繰り返すことが予想され、失業保険のコストがかかる。
公的な住宅費もかかるし、市役所のパンフレットも各国語で書くためにコストが大幅に増加する。
上記のような社会的コストは、目先の利益を狙って雇った企業ではなくて、何の関係もない一般国民にかかってくるのだ。
結局、外国人労働者(移民)を受け入れれば、受け入れ企業だけは目先の利益を増やすことができるが、国民全体としては長期的に(永久に)コストをかぶって大損害となる。
・・・長くなるのであくまで一部です。
こういう方々は、あくまで頑ななに、変化に対応したくない、ってふうにしか、
聞こえてこないのは、私だけでしょうか。
時代はどんどん変化していきます。
変化に対応するとは、完璧にコントロールされ何の問題も起こることなく
ルール変更に移行できるなんてありえません。
人間の知恵とは、歴史や経験に学び、同じ過ちを繰り返さないことです。
交通事故は毎年繰り返されています。
でも、少しずつ改善されていきます。
ルールも変化していきます。
同じことではないでしょうか。
車社会を否定し、車は危ないから乗らないってならないのは
何故ですか?
ナゼ車社会を否定せず、乗り続けているのでしょうか?
反対派の方々が、いくら声を上げても、TPP、FTA、他国際化はますます加速していきます。
ボーダーレスです。
先々のリスク増大は果たしてどちらが大きいのでしょうか。
決して移民受け入れ時に起こりうる問題を軽視しているわけではありません。
ぜひこういった視点も含め、お考えいただきたく思います。
移民(技能実習生)の受入は反対。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5385.html?sp
以下抜粋。
移民の受け入れについては、絶対に駄目だ。
移民の元となる外国人労働者の受け入れにも反対だ。
低コストの外国人労働者を受け入れる企業は目先の利益を増やすことができるだろうが、その分の長期的コストをかぶるのは国民全体だ。
結局、国家全体では大きな損失となる。
実際に、ヨーロッパ諸国において、外国人労働者の受け入れは大失敗に終わっている。
▼トルコから大量の労働者を受け入れ、取り返しのつかないドイツの大失敗例▼
例えば、1960年代の高度成長期のドイツでは、トルコから大量の労働者を受け入れた。
ドイツでは、トルコ人労働者の受け入れによって犯罪が増加したが、それでも高度成長期に企業の利益を確保するためには仕方ないこととされていた。
ところが、ドイツで高度成長が終わり、企業がトルコ人など外国人労働者たちの雇用調整を迫られた時、その雇用調整は思いどおりにできなくなっていた。
なぜならば、ドイツ国内におけるトルコ人など外国人労働者たちには既に二世が誕生していたのだ。
こうなると、既に、「外国人労働者」ではなく、「移民」だ。
ドイツのトルコ人労働者(移民)たちの二世は、ドイツで生まれ育ち、ドイツ語しか話せない。
だから、ドイツが、トルコ人労働者とその家族をトルコに帰国させようとしても、なかなか帰国させることができなくなっていた。
そこでドイツは、トルコ人労働者(移民)たちに、トルコで家を建てるための資金を与え、子供たちにはトルコ語の教育をした。
トルコ人労働者に対して、トルコに家を建てる資金を与えたり、二世にトルコ語教育をしたりした資金は、莫大となり、約3兆円を費やすこととなった。
しかし、これで、ようやく「トルコ人労働者とその家族」=「トルコ人移民たち」の帰国事業が出来たかというと、そうではなかった。
トルコに家を建てる資金を貰ったトルコ人労働者(移民)たちは、帰国する途中の国境手前で、列車から飛び降り、ドイツから出国しなかったのだ!
そのため、結果的にドイツにおける移民の数は、その後もどんどん増加してしまった。
このように、一度外国人労働者を大量に受け入れてしまったら、やがて、外国人労働者たちは「移民」と化し、取り返しがつかないことになる。
日本で外国人労働者を受け入れても、ドイツなどと同じ事態に陥ってしまうことは、火をみるより明らかだ。
外国人労働者のメリットは、短期的に雇った企業のみに現れる。
ところが、そのデメリットは、長期間にわたって(永久に)全国民にはねかえってくる。
たとえば、小学校の教育一つとっても、外国人の生徒がいれば、コストは10倍以上かかる。
外国人労働者本人も失業を頻繁に繰り返すことが予想され、失業保険のコストがかかる。
公的な住宅費もかかるし、市役所のパンフレットも各国語で書くためにコストが大幅に増加する。
上記のような社会的コストは、目先の利益を狙って雇った企業ではなくて、何の関係もない一般国民にかかってくるのだ。
結局、外国人労働者(移民)を受け入れれば、受け入れ企業だけは目先の利益を増やすことができるが、国民全体としては長期的に(永久に)コストをかぶって大損害となる。
・・・長くなるのであくまで一部です。
こういう方々は、あくまで頑ななに、変化に対応したくない、ってふうにしか、
聞こえてこないのは、私だけでしょうか。
時代はどんどん変化していきます。
変化に対応するとは、完璧にコントロールされ何の問題も起こることなく
ルール変更に移行できるなんてありえません。
人間の知恵とは、歴史や経験に学び、同じ過ちを繰り返さないことです。
交通事故は毎年繰り返されています。
でも、少しずつ改善されていきます。
ルールも変化していきます。
同じことではないでしょうか。
車社会を否定し、車は危ないから乗らないってならないのは
何故ですか?
ナゼ車社会を否定せず、乗り続けているのでしょうか?
反対派の方々が、いくら声を上げても、TPP、FTA、他国際化はますます加速していきます。
ボーダーレスです。
先々のリスク増大は果たしてどちらが大きいのでしょうか。
決して移民受け入れ時に起こりうる問題を軽視しているわけではありません。
ぜひこういった視点も含め、お考えいただきたく思います。