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労働者は、労働力商品なのか、人的資本なのか?! [経営者や企業のレベルの問題]

自分のことは、かなり棚の上に上げさせていただいた上で、
今後の人材確保に対する企業の姿勢としての、イチ意見です。


こんな書評を拝見しました。

小樽商科大准教授・佐々木香織が読む『不平等との闘いルソーからピケティまで』稲葉振一郎著
産経ニュース 2016.6.19 13:10
http://www.sankei.com/life/news/160619/lif1606190017-n1.html


もしご興味あれば、ご一読を。





ここで指摘されている点は、個人的にぼんやりとしていた、今後の労働者の生き方を、
確かに具体的な選択肢として、提示されているように思います。


労働者を、『労働力商品』としてみるのか。
はたまた、『人的資本』としてみるのか。


個人的に思うことは、

労働者自身が、我が身を削る労働力を、単なる商品として受容できるのでしょうか。
聞くところによれば、諸外国では、ある年齢に達するころには、
生活可能な賃金程度を確保できるため、
割り切って出世を考えずに、限られた収入の範囲内で、
必要以上のストレスを抱えることなく、
プライベートを充実させる選択肢を取ることに、
社会的にも市民権を得ているようです。

しかしながら、日本では、ワーカーであり続けることに
特に年齢を重ねれば重ねるほどに、メンツを気にする人も多いでしょうし、
そもそも生活可能な賃金保証を受けられる評価はありません、特にこの先は。

企業にしても、現在でいう最低賃金的な法律での強制力でもない限り、
経済活動の一環として、成立できる人件費構成に留まるばかりです。


そして、じゃぁとばかりに、『人的資本』とみれるのでしょうか。

教育を投資と捉え、曖昧かつ不鮮明な事柄に、
一定以上の労力や費用を費やすことが、果たして現実的に可能なのでしょうか。

もちろん、人財とばかりに手厚く対応している企業も多くいらっしゃることでしょう。
そして、そんな企業ばかりではないことも、また現実です。

そうなると、ほんの一握りの企業に、集中して応募が集まり、
対応できない企業には、ある意味『人的資本』とみれずに、
『労働力商品』としての人材しか集まらないことでしょう。


そう、結局のところは、一人一人の労働者が、自意識を変えて、
変化に対応できなければ、世間に文句や愚痴ばかり言うしかできない、
『負け組』となってしまうことではないのでしょうか。


だからこそ、極論は、独立し自身の力で独歩できる力を身につけるか、
素晴らしい企業に就職し、自身の能力の発揮を促され評価してもらうか、
国が最低限生活していけるであろう賃金を保証するようなルールができるのを
待つしか、生き様はないのかとも思います。



高度成長時代と比べてみれば、世知辛い世の中です。


向かう方向性を間違うことなく、日々アンテナを張り、
成長に励みたいものです。






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