「多様性は座学では学べない」 [益々多様化する日本]
連れのfacebookに気になる記事紹介があって、
思わず食いついて読んでしまいました。
「多様性は座学では学べない」
多様性(ダイバーシティ)を生き抜くスキルは、いったいどのように「学べば」いいのだろうか?
東京大学 中原敦研究室 2016.8.19 06:01/ Jun
http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/3836
これは、私のように10数年外国人技能実習生を中心に、
業務として携わってきた人間には、全くその通りと言いたい。
実際には、少子高齢化⇒労働力不足⇒外国人労働者受入⇒
使えない日本人労働者の排除、この流れは確実です。
いや、今はまだ外国人が日本語を学びたくて、日本を憧れて来てくれていますが、
今後は、TPP含め、国境がもっと低くなっていくにつれ、
企業はほとんどが海外との取引をどこかしらで持つようになり、
必要とされる人財は様変わりしていくことも考えられます。
ひいては、日本語もしゃべれる外国人ではなく、
外国語が苦も無く話せて当たり前の日本人でないと、
日本人を採用する意味もないくらいの世の中へと
突き進んでいるといっても過言ではありません。
よりこの多様性≒ダイバーシティなる、文化も生まれも育ちも違う人間との
スムーズな関係を構築し、維持し、発展させて、なおかつ拡げていける。
そんな目に見えない、資格などでは測れない能力(スキル)を求められるのではないでしょうか。
生まれ持った身体能力、親、個性、性格、頭の良さ、知識、歴史などが左右するのではありません。
その能力(スキル)は、正に『経験』でしか身につけられない。
もう一つ、記事をご紹介します。
守りたいもの /福井
毎日新聞2016年8月19日 地方版
http://mainichi.jp/articles/20160819/ddl/k18/070/266000c
この方は、9年の間、実習生の受入を続けていらっしゃいます。
中でも、このようにコメントを残しています。
・・・僕はこの小さな取り組みから、大きく昇華して平和や国防を語ることはないが、
少なくとも関わりあう相手への尊敬と愛情、そして異文化だからこその衝突と葛藤は、
真正面から向き合った関係の中で生まれていることを知っている。・・・
やったからこそわかる。
この経験だけは、ヒトのフリ見て我がフリ直せ、のように、
他人の経験を学習・応用して、そのまま我が身に活かすことは、
難しいことなんです。
先に紹介した記事の中から抜粋すれば、
今後の社会、そして、組織は、
「違い」や「差異」がそこはかとなく拡大していくこと=多様性が高まる
差異に対処したり、差異を前向きに企業経営・組織運営に活かしていくことが、
現場のマネジャー、日々のマネジメントに求められるようになる
多様性は、「多様性」のなかで仕事をおこない、
そこで生き抜く経験を通じてしか、学ぶことができない
多様性への対処は「経験学習」を通じてしか身につかない
この世には、
「Knowing – Doing Gap(知っていても、実際にやれといわれるとできないこと)」
というものある。
多様性は、その最たるもので、なかなか座学で「Knowing」しても、
それが「Doing」につながらない領域なのかな、と思う。
「多様性への対処」は「多様性」の中で学ぶしかない
「多様性への耐性」は、「多様性」のなかで獲得される
巷で言われる『グローバル人財』などは、もっと高尚な人財を言うのでしょう。
だけど、しょせんイチバン数が多く、トラブルも多いのは、一握りの高尚な人財ではなく、
留学生や、実習生などに代表されるような庶民レベルです。
決して他人事ではなく、アナタ自身に、こういう経験値とスキルが求められる日が、
唐突にやってきます。
実習生の受入とその対応の苦労を担うことは、
こういう経験を積み上げていくに、非常に適した環境です。苦笑
だって、ガイド役もいますしね。笑
アナタは多様性を求められる社会で、どうやって生きていきますか?
思わず食いついて読んでしまいました。
「多様性は座学では学べない」
多様性(ダイバーシティ)を生き抜くスキルは、いったいどのように「学べば」いいのだろうか?
東京大学 中原敦研究室 2016.8.19 06:01/ Jun
http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/3836
これは、私のように10数年外国人技能実習生を中心に、
業務として携わってきた人間には、全くその通りと言いたい。
実際には、少子高齢化⇒労働力不足⇒外国人労働者受入⇒
使えない日本人労働者の排除、この流れは確実です。
いや、今はまだ外国人が日本語を学びたくて、日本を憧れて来てくれていますが、
今後は、TPP含め、国境がもっと低くなっていくにつれ、
企業はほとんどが海外との取引をどこかしらで持つようになり、
必要とされる人財は様変わりしていくことも考えられます。
ひいては、日本語もしゃべれる外国人ではなく、
外国語が苦も無く話せて当たり前の日本人でないと、
日本人を採用する意味もないくらいの世の中へと
突き進んでいるといっても過言ではありません。
よりこの多様性≒ダイバーシティなる、文化も生まれも育ちも違う人間との
スムーズな関係を構築し、維持し、発展させて、なおかつ拡げていける。
そんな目に見えない、資格などでは測れない能力(スキル)を求められるのではないでしょうか。
生まれ持った身体能力、親、個性、性格、頭の良さ、知識、歴史などが左右するのではありません。
その能力(スキル)は、正に『経験』でしか身につけられない。
もう一つ、記事をご紹介します。
守りたいもの /福井
毎日新聞2016年8月19日 地方版
http://mainichi.jp/articles/20160819/ddl/k18/070/266000c
この方は、9年の間、実習生の受入を続けていらっしゃいます。
中でも、このようにコメントを残しています。
・・・僕はこの小さな取り組みから、大きく昇華して平和や国防を語ることはないが、
少なくとも関わりあう相手への尊敬と愛情、そして異文化だからこその衝突と葛藤は、
真正面から向き合った関係の中で生まれていることを知っている。・・・
やったからこそわかる。
この経験だけは、ヒトのフリ見て我がフリ直せ、のように、
他人の経験を学習・応用して、そのまま我が身に活かすことは、
難しいことなんです。
先に紹介した記事の中から抜粋すれば、
今後の社会、そして、組織は、
「違い」や「差異」がそこはかとなく拡大していくこと=多様性が高まる
差異に対処したり、差異を前向きに企業経営・組織運営に活かしていくことが、
現場のマネジャー、日々のマネジメントに求められるようになる
多様性は、「多様性」のなかで仕事をおこない、
そこで生き抜く経験を通じてしか、学ぶことができない
多様性への対処は「経験学習」を通じてしか身につかない
この世には、
「Knowing – Doing Gap(知っていても、実際にやれといわれるとできないこと)」
というものある。
多様性は、その最たるもので、なかなか座学で「Knowing」しても、
それが「Doing」につながらない領域なのかな、と思う。
「多様性への対処」は「多様性」の中で学ぶしかない
「多様性への耐性」は、「多様性」のなかで獲得される
巷で言われる『グローバル人財』などは、もっと高尚な人財を言うのでしょう。
だけど、しょせんイチバン数が多く、トラブルも多いのは、一握りの高尚な人財ではなく、
留学生や、実習生などに代表されるような庶民レベルです。
決して他人事ではなく、アナタ自身に、こういう経験値とスキルが求められる日が、
唐突にやってきます。
実習生の受入とその対応の苦労を担うことは、
こういう経験を積み上げていくに、非常に適した環境です。苦笑
だって、ガイド役もいますしね。笑
アナタは多様性を求められる社会で、どうやって生きていきますか?